Archive for the ‘日本史学習法’ Category
日本史勉強法 ゲームとしての解法
難関私大対策のテキストに必出の、未見史料を大量に使用した問題で、やる気を失ったという受験生も多いでしょう。学力がそのまま得点につながらないとイヤになってしまいます。
そこで、設問を利用しつつ、与えられた史料から人名や地名を抜き出して、何に関する史料かを推定する作業をゲームと考えて、復習に役立てつつ、得点力を向上させましょう。携帯でゲームをやってる場合ではありません。
たとえば、次の語句から、どんな事件が思い浮かびますか?
「密告」・「左大臣正二位( ① )」・「左道を学ぶ」
「左大臣」が危険な学問(左道)を学んでいるという「密告」から始まったというわけなので、①の左大臣は長屋王。もし、この長屋王の変のきっかけについて知らなかったら、すぐに、おぼえればいいだけです。テキストなどに「左道」書き加えておけいい。
因に、この史料は『続日本紀』。もし、史料に出典が示されていれば、『続日本紀』だったら、時期はほぼ奈良時代だと推定できます。しかし、この長屋王の変に関する史料と長屋王家から大量に発見された木簡についての記事は、山川出版の『詳説 日本史B(改訂版)』の冒頭の「資料を読む」という導入部分に詳しく紹介されているものです。そこで、この史料は、未見史料というより、焦点となる史料です。
未見史料問題の演習の際には、このような焦点の史料に留意しなければならないわけです奈良時代なら、道鏡のときの「加墾禁止令」も奈良時代の焦点の史料ですから、一度は解いておきたいところでしょう。また、左大臣が絡む政変はその後も多いので、この再整理しておくのも有効な勉強方法です。
早慶大日本史の予習
予習にとりかかっている人は、つぎの点に注意してください。
①何も見ないでやってみる。わからないところは、いちいち調べたりしないで、飛ばしておけばok。
②忘れたところをチェック。テキストやノートを見てみる。該当箇所が見つかったら、その箇所を、後からわかるようにマークしておく。
③調べてもわからない問題にもう一度チャレンジ。そこだけを考えないで、問題文をもう一度読み直すこと。
④どうしてもわからない場合はあきらめる。もちろん、教科書の欄外の註やコラムから答えを探してもよい。
ここまでやっておいて、講習会に臨んでください。そこからが、本当の受験勉強です。
『教科書よりやさしい日本史』完成
『教科書よりやさしい日本史』(旺文社)が完成しました。見本刷りが今日届きました。書店に並ぶまであと少しです。たまたま、今日は河合塾の同僚で旺文社で本を出している先生たちと、旺文社の社会科担当の編集の皆さん、営業の方などとの会食の日でもありました。その時、ぜひ受験生だけでなく、一般の方にも読んでもらいたいものだという話になりました。西尾鉄也氏のイラストの素晴らしさが、小生の文字の説明部分とどのように連関するか? 正直なところ、発刊後、読者に聞いてみなければわかりません。新しい試みでもあり、期待と不安が交錯している情況です。なんとか、単なる受験用の参考書ではなく、日本史に興味はあるが高校では未習だった、あるいは、授業では興味も湧かず、ほとんどおぼえていないという社会人の方にも、高校レベルの日本史の基本を知ってもらいたいというのが、本書の一つの目標なのです。ただし、社会人をも対象にするからといって、ドラマとしての歴史、教訓としての歴史について興味を喚起するというものではありません。経済史や外交史、文化史なども含めた基本的な、必須の知識を紹介したものですから、大河ドラマ的な興味を満たすものではありません。「面白い話」や「蘊蓄」を期待される方には不満が生ずるかもしれません。しかし、荘園公領制を知らずに源義経などの英雄に興味をもっても、所詮は小説的なドラマの世界。太閤検地の内容や大名知行制を知らないで江戸時代に興味をもっても、せいぜい、根拠の無い懐古趣味に終わってしまうでしょう。もし、本書に興味持ってくださった方は、その点を理解していただきたいものです。歴史にドラマを求める前に、その舞台となった各時代の政治・制度、外交、経済などを理解すること。そのためには、部分的ではなく、古代から現代までの基本的な知識を、時間軸にそって整理することです。
旧石器時代の人骨発見・沖縄県石垣市から
沖縄県の石垣市の「白保竿根田原洞穴遺跡」から「2万年前の旧石器人骨」が発見されたというニュースが流れました。以前、このブログで、高校日本史の教科書に紹介されている「炭素14年代」測定法と「年輪年代法」、あるいは、「AMS法」による補正について触れたことがありました。現在、旧石器時代の人骨としては、沖縄本島の「港川人」と「山下町洞人」、静岡県の「浜北人」が教科書にのっていますが、今回の人骨は、人骨そのものの年代測定に成功した結果として注目されるところです。かつては、牛川人、三ヶ日人など、多くの旧石器時代の人骨が紹介されていましたが、その多くが再検討の結果、「人骨」とは認められないものとされて教科書から消えていきました。でも今回は、確実な旧石器時代の人骨の例が加わったということになります。これが、来年以降の教科書に反映されるかどうかはわかりませんが、日本史の学習をこれから始めるという人は最初のところですから留意しておきましょう。ただし、今回も用いられた「AMS法」などの意味は理系の先生に質問して下さい。
2010年センター試験日本史B 私大用・速報
センター試験から私大日本史へ
センター試験日本史Bを受けた人は「お疲れさま」・・・といっている暇はありません。私大の日本史受験が迫っています。「センター試験は終わり」ではなく、せっかく受けたのだから、満点以外の人は、失点を吟味して、私大対策に役立てること。受けっぱなしではモッタイナイ。
そこで、もしも間違えていたら放置できないという問題をとりあげて、設問番号順に、何回かに分けて、コメントを加えていきます。できれば、手元に、センターの問題を用意して下さい。
設問1② Ⅰ・源頼信→Ⅲ・源頼義→Ⅱ・源義朝 で②。ここで迷った人は、
もう一度、清和源氏の系譜と政変・戦乱の順を対応させながら確認しておくことが必要。(a源経基・藤原純友の乱という組み合わせで確認しておくこと)
[清和源氏] 清和天皇—○—a経基—b満仲—c頼信— d頼義—e義家—f義親—g為義—h義朝—i頼朝
[政変・戦乱]a藤原純友の乱→b安和の変→c平忠常の乱→d.e前九年合戦→e後三年合戦→f源義親の乱(出雲の乱)→g.h保元の乱→i平治の乱
ここが、確実に出てくるようにしたら、一歩進めて、関連用語から戦乱の名称が導き出せるようにすること。
「摂津多田荘の経営」「左大臣源高明の排斥の発端」→a満仲
「上総・安房(房総)の国衙を制圧し」→c頼信
「陸奥の安倍氏の反乱を、出羽の豪族清原武則の協力を得て」→d.e父子
といった内容をもう一度チェックしておく。
設問6 「明治時代の思想界」、特に、1180年代後半からの「国家主義」的な思想は頻出のテーマながら、不得意な人が多いところです。
a 1887年 平民主義 →民友社 (徳富蘇峰) → 雑誌・新聞
b 1888年 国粋保存主義→政教社 (三宅雪嶺・志賀重昂) → 雑誌・新聞
c 1889年 国民主義 → (陸羯南) → 新聞
d 1895年 日本主義 → (高山樗牛) → 雑誌
a雑誌『国民之友』新聞『国民新聞』 b雑誌『日本人』 c新聞『日本』
入試ではa・bが頻出。ところが、本年のセンター試験ではc・dだけが取り上げられた! 私大受験者なら、確信をもって X正・Y正、で①。
さらに、一歩進めて。難関私大対策。政治史絡みでは、『国民新聞』がポーツマス条約を容認する立場をとったために「日比谷焼き打ち事件」で暴徒化した民衆の襲撃の対象となったこと。経済史関係からは雑誌『日本人』が「高島炭坑事件」をとりあげていること。テーマ史関係では、史学史で徳富蘇峰の『近世日本国民史』、三宅雪嶺の『同時代史』。文学史がらみなら、蘇峰の弟、徳富蘆花が『国民新聞』に連載した長編小説「不如帰(ほととぎす)」、高山樗牛なら小説『滝口入道』あたりも、チェックしておきたい(モチロン、必須の知識というわけではないので気楽に)。
(つづく)
縄文時代から続く成人式・入試前日のチェックを忘れずに
今日は成人式。「通過儀礼」の代表的なものですね。「通過儀礼」とは人生の節目節目で行われる儀式です。その中でも、代表的なのが「成人」の仲間入りをする儀式です。縄文時代の「抜歯」はよく入試でも問われる通過儀礼です。健康な歯を無理やり抜いて、その痛みに耐えたら「今日から君も大人だ」というわけです。もっと手の込んだ、門歯をフオークのように加工する「叉状研歯」というのもあります。女性の「お歯黒」も歯に対する加工で、これも成人のしるしと考えられています。
教科書の、平安貴族の生活の部分(山川・詳説日本史Bならp68)にも「元服」と女子の「裳着」がゴジ(太字)でのっています。「元服」は「初冠」などとも言うことは古文で習ったでしょう。『伊勢物語』の最初が「初冠」ですね。「ういこうぶり」という読み方でまず戸惑ってしまう。
受験生なら、これだけでなく、平安貴族の服装、男子の「束帯」・「衣冠」と女性の「女房装束(十二単)」。あるいは、寝殿造とその構造など、受験前日に必ず目を通しておかねばならないところですよ。
ちなみに、若者が、耳たぶに穴をあけたり、中には、牛のように金属の輪を鼻につけたりしているのをみると感動しますね。身体の加工というのはなかなか興味深いテーマなので、ピアスを見ると「抜歯」を連想し、「ああ、通過儀礼なんだ」、「痛みに耐えたことを皆に見せたいんだ」と思います。本人にしてみれば「カッコいい」というだけですが、なぜ身体を加工して「カッコいいか」が興味深いところですね。また、魏志倭人伝(『三国志』魏書)に倭人が入れ墨、あるいは「文身」をしているという部分も思い出しますね。「弥生時代とかわらず入れ墨が好きなんだ」。そういえば、大津事件の被害者だったロシア皇太子ニコライも、日本に着いて、早速、入れ墨をしたという話を何かの本で読んだような気がします。確かめるのも面倒ですが、この身体加工は文化人類学などのテーマとしても気になるところです。


オランダ正月でオメデトウ
あけまして オメデトウございます
さて、正月といえば、受験生にとって「最後の追い込み」の時期。日本史受験者なら、「正月」とくると、大槻玄沢=芝蘭堂から「オランダ(阿蘭陀)正月」を思い出してしまうところがつらいところ。気になるテーマは放置しないでチェックしておきましょう。
寛政6年閏11月11日は西暦でいうと1795年1月1日でした。大槻玄沢は江戸で開いていた家塾、芝蘭堂で新年の祝宴を開き,これを阿蘭陀正月(新元会)と呼んだそうです。もちろん、出島のオランダ商館では西暦による新年会が開かれており、「阿蘭陀正月」と呼ばれていたのですが、玄沢がこれを江戸で開いたのが西暦1795年。太陰太陽暦だった日本はまだ閏11月でした。「閏月」があるということは、この年は13ヶ月だったわけですね。
太陽暦(グレゴリオ暦)を日本が採用するのは明治5年。明治5年12月3日を明治6(1873)年1月1日としたのです。そこで、「徴兵告諭」が明治5年11月28日に発せられ、約2週間後には徴兵令が公布されるのです。前年の11月が「告諭」で、徴兵令が公布された時には年がかわって明治6(1873)年1月10日、ということになるわけです。年号問題では注意しなければならないところです。
以後、日本も西欧のキリスト教国と同じ太陽暦を「西暦」として使うわけですが、現在使われている太陽暦は「グレゴリウス暦」と呼ばれるものです。これがローマ教皇によって制定されたのは1582年です。そう、日本なら天正10(1582)年。本能寺の変、山崎の合戦という大転換の年。そして、天正遣欧使節の出発の年でもあります。ということは、この天正遣欧使節が会ったローマ教皇グレゴリウス13世が制定したのが、現在使っている西暦、すなわちグレゴリウス暦なんです。
東大寺の建築といえば、大仏殿、南大門、それとも法華堂
文化史の復習は進んでいますか。ただただ暗記という勉強方法は退屈。そこで、教科書の写真版や図録で建築・絵画・彫刻などを確認すること。
さて、東大寺の建築を3点。文化史でどの時代に属すでしょう。
東大寺に現存する天平文化の建築物と言えば法華堂。屋根を見れば、左と右が明らかに違う。向って左が天平期の建築で、「不空羂索観音像」「日光・月光菩薩像」などが納められている正堂。右は、鎌倉時代に付け加えられた礼堂。
南大門は鎌倉建築の代表。大胆、豪放な「大仏様」。関連する人物は重源(俊乗坊)・陳和卿。両側には金剛力士像。
1180(治承4) 平重衡の南都焼討ちで東大寺の大部分は焼失。
大仏殿は江戸時代の建築物、元禄文化で出てくる。1567(永禄10)年の松永久秀と三好三人衆との戦闘で再び焼失。
元禄年中に公慶上人の勧進により大仏・大仏殿が再建されました。
江戸三座と歌舞伎座
銀座の歌舞伎座が立て替えられるそうです。高層ビルのなかに納まるらしい。歌舞伎座の創設は大日本帝国憲法が発布された1889年。福地源一郎(桜痴)らが演劇改良運動の拠点として計画、実現させたものです。現在の建物は1945年の東京大空襲で消失したあと、1950年に竣工、翌年から興行を再開したということですから、約60年ほど前の建築物です。何年か前には交詢社ビルも建て替えられてしまいました。6丁目の交詢社ビルは関東大震災後の1929年(昭和4年)に建てられた、まさに歴史的建造物でした。近代建築のうち、特に大震災後の建物をどこまで保存するべきかは難しい問題でしょうが、老人にとっては子供のころからの馴染みの建物が失われていくのは、やはり寂しいものでしょう。
ところで。江戸時代は風俗統制が厳しく、18世紀以降、江戸で興行を認められた歌舞伎の小屋は、いわゆる江戸三座(中村座・市村座・森田座)のみ。さらに、厳しい風俗統制、奢侈禁止が強行された天保改革期に、この三座は江戸の外れ、浅草の猿若町に移転させられてしまいます。ところが、明治維新で統制が撤廃されると、さっそく、守田勘弥(12世)が守田座を京橋の新富町に移し、新富座と改称し、いわゆる「団菊左」(9世市川団十郎、5世尾上菊五郎、初代市川左団次)らの名優が活躍しはじめるのです。歌舞伎座はこの新富座などに対抗する形で福地らが計画したもので、当初は激しい役者の奪い合いが行われたそうです。ちなみに、新富座の方は関東大震災の後、再建されずそのまま廃絶してしまいました。現在は京橋の税務署になっているということです。
受験生の方は『日本史B実況中継⑤』のP198,『標準問題精講』p181(法政大学の問題)の「精講」などで確認しておいてください。福地源一郎はもちろん、「立憲帝政党」の方でおぼえておければなりません。
実況中継準拠問題集⑤(文化史)が出ました
実況中継準拠問題集⑤(文化史)が出ました。実況中継を使って下さっている方は、ぜひ、第5巻の文化史を読み終わったら、問題にチャレンジしてくだ さい。もちろん、実況中継を使っていない方でも、文化史が不得意という方は、基本の復習にとりかかったら、この問題集をやってみてください。
仏像など、作品をおぼえるためには、その作品に関するキーワードをしっかりおぼえること。まずは、「現存最古の仏像」から。飛鳥寺の釈迦如来像。いわゆる「飛鳥大仏」です。そして、教科書や資料集の写真版で確認しておきましょう。





