Archive for the ‘Uncategorized’ Category
直江兼続から謝花昇へ
先日、同僚たちと米沢に行ってきました。米沢の町と言えば昨年の大河ドラマの直江兼続ゆかりの地。ということで、町のあちこちに「愛」「愛」「愛」の文字が踊っていました。入試ならもちろん上杉治憲(鷹山)と興譲館ということになるのですが。白布温泉に1泊、米沢牛のステーキを食べて帰京。その後、今度は沖縄に行ってきました。比較的まとめて休めるのがこの時期なので、北から南へということになってしまいました。もちろん沖縄も仕事ではありませんが、やはり、史跡や博物館には行くことになります。今回の沖縄では、謝花昇の銅像の写真を撮ってきました。前回、沖縄本島に行った時にも撮ったのですが、大失敗に終わったので、今度こそはと思ったのです。やはり、うまくはいきませんでしたが、どうやら顔が判別できそうな1枚がこの写真です。
謝花昇は沖縄民権運動の中心人物で、沖縄県が派遣した留学生の一人。東大で農学を学び、沖縄に帰って高等官として活躍した人物ですが、元薩摩藩士の県令奈良原茂と対立、役人を辞めて、中央政府と奈良原の独裁的県政に対抗し、参政権獲得運動など取り組みました。明治政府は、沖縄や北海道の人びとを本土並には扱わず、差別し、衆議院議員の選挙権も認めなかったのです。運動に行き詰った謝花は県外に活路を求めるのですが、1901年、旅先の神戸で発狂し、その後、郷里に戻り病死してしまいます。
謝花の出身地の東風平(こちんだ)の丘の上に建つのが上の銅像です。港川人の発見された港川の近所です。
ところで。ホテルに戻って、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたというテレビのニュースに驚いたりしていたあと、ふと、妙な因縁に気付きました。
謝花昇たちを、県費留学生として送り出した県令は上杉茂憲(もちのり)だった。米沢に行ったときにはまったく思いつかなかったんですが、県令として、沖縄自身の近代化のために、沖縄の人にも高等教育を受けるチャンスを与えようとしたのは、廃藩置県によって最後の米沢藩主となった上杉茂憲だった。「琉球王」とよばれた奈良原のような、沖縄を蔑視し差別策をとった県令が一般的だった明治時代に、沖縄そのものの発展を目指した上杉茂憲は異色の県令だった。たまたま、つい3日ほど前に、その上杉の本拠地の米沢に行ったことを、謝花の銅像の写真を撮っているときにはすっかり忘れていた。ホテルにもどってから、「そう言えば・・・米沢・上杉治憲・・・上杉茂憲・謝花」と結びついたのです。あらためて、上杉治憲・興譲館、という教育重視の流が、幕末の茂憲の時期まで継続していたというわけではないかもしれませんが、なんとなく納得してしまったわけです。
ちなみに、琉球王奈良原茂の方は、幕末、1862(文久2)年の寺田屋事件で、同じ薩摩藩の尊攘派の活動家を粛正した側の一人です。伏見の寺田屋は大河ドラマだと坂本龍馬襲撃事件で出てくるかもしれません。
珈琲とバタピーと鰻

一年ぶりに一人で銀座をブラブラ、少し周りもブラブラ。母が好きだった竹葉で「うな丼」を食べ、歌舞伎座のすぐ隣りの、古い古い喫茶店で珈琲を一杯。
歌舞伎座のアノ特異な建物が立て替えられるという話を思い出して足が向いたのですが、出てきた珈琲に生クリームとピーナッツがついてきました。皆無というわけでは無いのですが、コーヒーにバターピーナッツがついてくると無性にうれしい、幸せな気持ちになるのです。
小学校の1年か2年生のころ、始めて母と二人で喫茶店でコーヒーを飲んだことを思い出した。というより、そのときピーナッツがついていたことを思い出したのです。それ以来、小学生が喫茶店に行くはずもなく、やがて大学生になって毎日のように喫茶店に行くようになったころにはピーナッツはついていなかったのです。
その喫茶店は、きっと何十年もコーヒーにバタピーをつけているのでしょう。勝手な想像かもしれませんが。店は、狭く、はっきり言って小奇麗なところなどまったくなし。こった映画で再現しても再現しきれないほどむかしのまま。
要するに、母がいないだけで、五十年前に戻ってしまったのです。母が生きていれば、竹葉を出たら、きっと千疋屋でジュースを飲もうといったに違いないなどと、めずらしく感傷的になったのです。そこで、店をでて、鳩居堂で縮緬で造ったクリスマスの人形を買ってみました。
プチャーチンとウンコフスキー
嘉永6(1853)年、ロシアの使節プチャーチンが長崎に来航し、幕府に対し通交を求めました。ペリーの浦賀来航の1ヵ月半後のことです。旗艦パルラダ号以下、4隻の艦隊を率いての来航でした。艦長はウンコフスキー。
以前、日露交渉史に関する本を読んでいて、この「ウンコフスキー」という名前に出会った時・・・・・・・・・。ウンコ」という下品な妄想というか連想が頭にこびりついてしまいました。ウンコフスキーの方は入試にはまったく不必要が人名ですが、授業の時、ついついしゃべりたくなる。毎年、勝手に困っています。
ところで。長野市の茶臼山動物園には「プチャーチン」・「ウンコフスキー」という名前のカメがいるそうです。これにも驚きました。「ホルスフィールドリクガメ」というカメだそうです。同園のホームページに写真も載っています。西アジアに生息する小型のリクガメで「ヨツユビリクガメ」や「ロシアリクガメ」の別名もあるそうです。2005年に飼育を始めたそうで、オス1頭、メス2頭の計3頭を飼育しています。そのオスの名が「ウンコフスキー」、メスは「プチャーチン」と「コマちゃん」だそうです。「ロシアリクガメ」からのネーミングなんでしょうか? 「コマちゃん」の由来はわかりませんが、せっかくなら「エカテリーナ」にして欲しかった。しかし、なぜメスを「プチャーチン」としたのでしょうか。その「プチャーチン」が卵を2個産み、そのうち1つがかえったそうです。そして、先月、同園はカメの人工繁殖の成功により日本動物園水族館協会から表彰されたそうです。
これから、数が増えていったら、ラックスマン・レザノフ・ゴロウニンなどと名づけてほしいものです。そういえば、以前、ロシアの文部大臣に「バカチン」という人がいたような記憶があるのですが、これはやめたほうがイイでしょう。
ともあれ、今度、近くまで行く機会があったら茶臼山動物園にいって、ぜひ「プチャーチン」と「ウンコフスキー」に会いたいものです。
民主党が第1党に! ただし、すぐに第3党に後退し社会党が第1党に
民主党が自由党をしのぎ、衆議院議員145名を擁する第1党に!
と言っても、半世紀以上前の話。1947年3月末、新憲法下での初の選挙を目前に控え、総裁芦田均のもとで民主党が誕生し、衆議院の第1党となったのです。
今夏の選挙の結果、自民党政権が大敗を喫し、受験生は戦後の政党の変遷というイヤなテーマを思い出したことでしょう。戦後史はまだという高校生などはこれから勉強することになるわけですが、教科書などの政党変遷表をちょっと見ておきましょう。
現在の民主党が、次の選挙以降どうなっていくのかは予想もつきませんが、この、1947年3月に誕生した民主党は、4月の選挙で124議席にとどまり、第 3党となってしまいます。第1党となったのは143議席を獲得した日本社会党(委員長片山哲)。吉田茂首相の日本自由党は第2党となり、下野。過半数を得 た政党はなかったため、日本社会党・民主党・国民協同党の連立で片山哲内閣が誕生するのです。麻生太郎自民党総裁の祖父吉田茂は下野し、次期首相鳩山由紀 夫の祖父鳩山一郎はこの時、公職追放中でした。その後、吉田長期政権、そして鳩山一郎内閣が誕生し、保守合同で自由民主党が発足するわけです。
後に、8党の連立の細川内閣が登場したり、自由民主党が日本社会党と連立を組んだり、色々あって、今回、民主党が自民党を破って政権を獲得したわけです。
この際、しっかりと戦後の政治史、政党の変遷を学習しておきましょう。民主党政権がどうなるかはわかりませんが、入試では「民主党」は避けて通れません。1993年夏に細川内閣が誕生し、翌年の入試には早速出題されています。
「白虎隊」「海援隊」そして「田舎で働き隊!」
前回、会津の白虎隊について触れたら、同じく、幕末から明治にかけての「赤報隊」「彰義隊」「奇兵隊」、あるいは軍隊ではないが「海援隊」などなど、「**隊」が気になりだしました。 「海援隊」といえば世間では武田鉄矢でしょうが。龍馬の「海援隊」よりは「金八先生」や「贈る言葉」などで武田鉄矢の「海援隊」のほうが有名でしょう。そ う言えば、「少年隊」というのもあった。いっそ、「白虎隊」にすればよかったのに。最近でも漫画や芸能関係で「**隊」は結構あるようです。 ところが、何と、政府関係でも最近「**隊」が登場していました。それも、農水省の考えた「**隊」です。「田舎で働き隊」。「田舎で働き隊」ですよ。よく見ると、「田舎で働きたい!」と、ビックリマーク付きです。詳しくは、農水省のホームページを見て下さい。 といっても、見る人はほとんどいないでしょうから、引用しておきましょう。 (タイトル)「田舎で働き隊!」事業(農村活性化人材育成派遣支援モデル事業)の募集について (説明)この度、「田舎で働き隊!」事業(農村活性化人材育成派遣支援モデル事業)を行うコーディネート機関の募集を行いますのでお知らせいたします。 なお、今回の募集は平成20年度第2号補正予算の政府原案に基づいて行われるものであるため、成立した予算の内容に応じて事業内容、予算額等に変更があり得ることにご留意ください。 1.趣旨 農村の活性化には、それを担う人材が必要となるが、高等教育機関や安定した就業の場が少ないことなどから、農村では青年層を中心に都市部への人口流出などが進み、活性化の担い手となる人材が不足している。 一方、都市住民の間では農村への関心が高まっており、また、都市住民が農村と協働して農村活性化に向けた取組に携わり、外部の者ならではの「気付き」をきっかけとして、農村の活性化が進展している事例も見られる。 このように、都市と農村の協働は、農村の活性化を図る上で有効な手段の一つであると考えられるが、その推進のためには、農村と都市部等の人材をつなぐ有効かつ汎用性の高い仕組みの存在が必要である。 このため、「田舎で働き隊!」事業(農村活性化人材育成派遣支援モデル事業)(以下「本事業」という。)において、都市部等の人材を農村の活性化のために活用するための人材の仲介業務を支援することとする。 2.募集期間 平成20年12月26日(金曜日)~平成21年2月16日(月曜日)(17時必着) (以下略) どうですか。この事業が、その後どうなっているかは調べる気にもなりませんが、麻生内閣の緊急対策の1例でしょう。農村の活性化に反対する人はいないでしょう。知らない世界なのでコメントすることはできませんが、許せないのはそのネーミングです。 「うしろ髪ひかれ隊」(工藤静香がメンバーだった?)というのがありました。内容は知りませんが、妙に気になるネーミングでした。「**したい」の「た い」を漢字で「隊」としてグループであることを示す。要するに、ダジャレの世界です。ただ、この場合、「後ろ髪を引かれる」を「引かれたい」として、しか も「たい」を「隊」と漢字でとめたところが面白い。「後ろ髪」は、本来なら「引かれたくない」のに、それを「ひかれたい」としたところがミソ。 しかし、「田舎で働きたい」の「たい」を「隊」とし、あまつさえ、「!」を付けたからどうだというのでしょうか。何のひねりもない。庶民にもわかるタイト ルにして、ちょっとシャレたセンスで「隊」にしようと思ったとしたら、もう絶望的。それとも、どこかの広告会社に頼んだんでしょうか。そもそも、「うしろ 髪ひかれ隊」には隊員がいたわけですが、「田舎で働き隊」の「隊員」って誰なんでしょうかねえ。 官僚も、ここまで、言語的に劣化したのか。これは、漢字が読めないといったレベルの話ではない。感性そのものが欠落している。 外務省から「外国に逃げ出し隊?」構想が発表される日も近いでしょう。
白虎隊と高松塚古墳・キトラ古墳壁画と四神
会津と言えば喜多方ラーメンと白虎隊。喜多方ラーメンと札幌ラーメン・博多ラーメンを「日本三大ラーメ ン」と呼ぶことがあるとかないとか。水戸へ行けば、ラーメン発祥の地で「朱舜水ラーメン」というのが以前ありました。もう一つが白虎隊。戊辰戦争の中で も、もっとも烈しい戦いとなった会津戦争の際の「白虎隊」の集団自決は有名です。 白虎隊の「白虎」とは、青龍(東)・白虎(西)・朱雀(南)・玄武(北)の「四神」のうちの白虎です。会津藩は藩士を年齢別に組織し、16・17歳が白虎 隊としていた。以前、生徒から「青龍隊とか朱雀隊というのもあったんですか?」という質問を受けたので、辞書で調べたら、会津藩は兵制改革をおこなって、 18〜35歳を朱雀隊、36〜49歳を青龍隊、50歳以上を玄武隊としたということでした。白虎隊は、いわば予備役のような位置づけだった。若松城の東、 猪苗代湖の近くでの戦闘に敗れ、20名ほどが飯森山に逃れ、城下に火の手があがったのを見て、若松城が落城したと思い込み集団自決してしまった。若松城の 籠城戦はその後も1ヶ月ほど続いているので、早まった自決だったとされています。 ところで、この白虎などの四神は占い好きの人などにはお馴染み、風水ブームとやらで知っている人も多いようですが、日本史学習では高松松塚古墳・キトラ古 墳の時に登場する用語です。高松塚古墳は7世紀末から8世紀初頭ごろと推定される古墳で、人物群像や玄武・青龍・白虎などの彩色壁画が注目され、国宝に指 定されています。ただし、南面は剥落しているため、朱雀は残っていない。盗掘された時に失われたらしいのです。そこで、入試問題でいうと、まずは、「古 墳」という言葉に引きずられて、高松塚古墳壁画を4〜6世紀ごろの「古墳文化」の例としないこと。7世紀後半から8世紀初めの白鳳文化の時期であることを 確認しておかなければならないわけです。ところが、難関私大などでは、ここにキトラ古墳が登場してくるのでややこしくなってきます。 同じ奈良県の明日香村にある高松塚古墳とキトラ古墳は1kmほどしか離れていない。そして、両方とも「四神」の壁画で注目されているので。四神が描かれた 古墳といった場合、その区別をつけておかなければならない。そこで、キトラ古墳は盗掘されていない状態で壁画が確認され、天井には天文図,そして、四面に 四神が確認されたことを確認しておく必要があるのです。高松塚のほうは四神のうち朱雀を除く三つ。キトラ古墳は四神が揃っているわけです。そこで、入試問 題で、四神が描かれた古墳を問われた場合、「四神が揃って・・・」と言う場合は、キトラ古墳と答えなければならないのです。
大和魂と世襲議員と『源氏物語』についての余談
選挙が迫ってくるなかでの夏期講習会。そこで、どうしても脱線してしまうのが「大和魂」「世襲」、そして『源氏物語』です。紫式部には毒がある。末摘花と江戸時代の特産物という前回、前々回の続きです。 「大和魂」という言葉が最初に出てくるのは『源氏物語』だそうです。念のために、『源氏物語』のその部分の口語訳を確認してみました。前回が、不美人の末 摘花だったので、『ブス論』の著者大塚ひかり氏の口語訳(ちくま文庫)を引用させてもらいましょう。光源氏が、元服した息子の夕霧に六位の地位しか与え ず、大学に入れたという部分(少女(乙女)巻)です。天皇や周囲は四位ぐらいの位階が与えられるのだろう思っていたところ、父の光源氏は息子を六位とし、 大学に入れてしまったというところです。その理由を、光源氏は次のように説明します。 「高貴な家の子として官位も思うままで、栄華の中で贅沢に馴れてしまうと、学問などで身を苦しめることは自分とは縁遠い気持ちになるようです。(略) やはり学問を基礎にしてこそ、実務を処理する“大和魂”を世の中で発揮できる可能性も高いでしょう。当面は心もとないようですが、最終的には世の重鎮となるべき心構えを学んでおけば、私がいなくなっても安心できる」と判断したというのです。 高位高官の子は成人とともに高い位を与えられるのが常識だった当時にあって、あえて、六位を与えることとしたのは「学問」を身につけさせるためだというの です。そもそも、8世紀に成立した律令制で、法的に五位以上の貴族の子、三位以上なら孫までが、一定の位階を与えられた。入試でもよく問われる「蔭位」の 制です。また、大学とは式部省の管轄下に置かれた官吏養成機関で、このころは、主として中国の古典や歴史などを、もちろん漢文で学び、その後、試験を受け て官人となっていくのが原則でした。 時代の相違を無視して、イメージ化すると、父、祖父が首相、大臣クラスなら、その子や孫は成人すると学力や学歴に関係なく国家公務員上級職(キャリア)の 資格が自動的に与えられた。もちろん、大学を出て、公務員試験に合格して役人になるルートもあるがこれは二流の役人、政治家。首相の息子の夕霧君は黙って 中央省庁の局長あたりから役人の道を歩み始めるのが普通なのに、何と大学に入って、公務員試験を受けるという、中流以下の道を父に強制されたということに なります。世襲で国会議員となるのは簡単だが、その前提となるのは「学問」だから少し遠回りしろというわけです。その「学問」とは、現在なら、英語と欧米 流の知識。平安時代なら漢文や中国の歴史だということです。原文では「才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂(やまとだましひ)の、世に用ひらるる方 も、強う侍らめ。」という部分です。ここを大塚氏は「やはり学問を基礎にしてこそ、実務を処理する“大和魂”を世の中で発揮できる可能性も高い」と訳され ているのです。 「大和魂」は、決して「ニッポン魂」ではありません。『広辞苑』には「①漢才すなわち学問(漢学)上の知識に対して、実生活上の知恵・才能。②日本民族固 有の精神。勇猛で潔いのが特性とされる」とあります。江戸時代の国学者あたりから始まる、「すばらしい、日本固有の文化」といった意味はまったくなかっ た。実務処理能力、一種の処世術といった意味で、それを活かすためには漢文が必要だ。すなわち、「漢才」に対応して生まれてきた言葉だった。 父や祖父から地盤を譲られた世襲議員は若くして国会議員となり、叩き上げの年配の議員を尻目に、大臣や党の要職を歴任して首相を目指す。55年型の自民党 支配の政治構造が産まれたのと同じです。それを支えるのは、正に「学問」を身につけ、二流の地位を約束された官僚と官僚OBの国会議員だった。平安時代も 戦後も同じようなものです。 さて、次の内閣の首班が世襲議員であることはほぼ間違いなさそうですが、「漢才」と「大和魂」双方がそろっているのはどちらか。あるいは、両方ともないの か。処世術では麻生の勝ち? 学問では鳩山の勝ち? どっちにころんでも、日本の政治構造の大きな変革は起りそうにもないところは、まさに「あじきな い」。としかまとめようはありません。
紫式部・末摘花と江戸時代の特産物
『源氏物語』にとって「末摘花」はなくてはならない女性です。クリスマスと言えば「赤いお鼻のトナカイさ ん」。源氏物語と言えば末摘花。象のような長い鼻の先が赤い、不美人。まともに源氏を読んだことがないのですが、光源氏といえば赤いお鼻の「末摘花」が 真っ先に思い浮かんでしまう。源氏物語が、美男美女だらけの、テレビドラマ、韓国ドラマみたいな構成だったら、人物設定は薄っぺらなものになっていたに違 いない。 ところで、只今、夏期講習会のまっ只中ですが、毎年、毎年、どうしても近世の特産物として「紅花」が出て来て、その異称が「末摘花」という話をするので、 その度に、話は『源氏物語』にまで遡ってしまいます。となると、話は平安時代に逆戻り、授業の進度は遅れに遅れるということになるわけです。そこで、グッ とこらえて先に進まなければなりません。 近世の特産物といえば、まずは出羽(最上地方)の紅花、阿波の藍。紅花も藍ももちろん染料ですよ。「でわのべにばな・あわのあい」と何度か声に出しておぼ えてしまう。紅花は「末摘花」とも呼ぶ菊の仲間で、花は小さい、かわいい花ですが、黄色の染料ではなくて赤、紅色の染料・・・・」といったところで止めて おくことになります。止めないと、どうなるか。 紅花は、家の花瓶にも登場することがある。何年か前に、奥様に「それ何て言う花?」と聞いて教えてもらったのですが、確かに黄色い花でした。そういえば、 先週、喫煙場所に指定された台所で「紅花油」と書かかれた食用油を見つけました。そう言えば、タバコはポルトガル語だけど、近世にはタバコの特産品も出て 来る。「花は霧島、煙草は国分・・・」という歌があったけど、鹿児島の国分は煙草の有名ブランドだった・・・・・。と、完全に雑談になっていくわけです。 今年も、源氏物語で末摘花ぐらいで止めておかなければなりません。しかし、紅花は染料だけではなく、口紅や頬紅など、化粧品の原材料としての需要も高かったこともしゃべりたくなって、ストレスが溜まってしまうのです。 黄色い花なのに、赤い口紅や頬紅になる。不美人の代表、「末摘花」はどんな化粧をしていたのか。いや、化粧などしなかったのか。化粧の歴史をちょっと調べなければなりません。

