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天皇の支配する日本が登場
古代史の最初のヤマ場、7〜8世紀。「天皇」と「日本」がいよいよ登場します。
いつから「やまと」「倭」は「にっぽん」となったのか。「大王」はいつから「天皇」と呼ばれたのか。
「天皇は、神武綏靖安寧懿徳孝昭孝安孝霊孝元開化崇神垂仁景行成務仲哀応神仁徳履中(じんむ・すいぜい・あんねい・いとく・こうしょう・こうあん・こうれい・こうげん・かいか・すじん・すいにん・けいこう・せいむ・ちゅうあい・おうじん・にんとく・りちゅう)・・・・・?」
日本史の勉強が歴代天皇の暗記から始まったのは戦前。神話にもとづく「国史」教育です。まさか、そんな人はいないでしょう。
そこで、「天皇」という君主号が何時始まったのか。推古天皇か、天武天皇か。種々議論されています。もっとも、5世紀の巨大古墳で、仁徳天皇陵、応神天皇陵といった言葉が出てくるので、「あれっ?」と思う人もいるでしょう。
「5世紀にも仁徳天皇、応神天皇とか出てきたはずなのに?」「天皇は5世紀からいるんじゃないの?」という疑問が出てもしょうがない。ここは、授業でしっかり説明しておくべきでしょう。
「仁徳」とか、「応神」といった呼び名は「漢風諡号(かんぷうしごう)」と呼ばれるものです。「漢風」、すなわち中国風の呼び名です。「諡号」というのは、貴人などに対して、その死後に贈られる呼び名のことです。そして、「神武」から「持統」天皇までの漢風諡号のほとんどは、8世紀後半に淡海三船が一括して決めたものです。そこで、「大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)」という名の大王に、死後、300年以上経ってから「仁徳」という中国風の名称をつけたわけです。
ちなみに、(実在を疑問視する見解もありますが)この仁徳天皇は5世紀前半頃の大王で、その陵墓とされる「仁徳天皇陵」、すなわち「大山古墳」は5世紀中葉の築造と推定されています。つまり、あの世界第1位の平面積を誇る前方後円墳に仁徳天皇が葬られている可能性はほとんどないそうです。
ところで、先週、ある校舎で「質問」を受けました。壬申の乱に敗れた天智天皇の子、「大友皇子」についての質問でした。大友皇子は壬申の乱に敗れ天皇に即位していないにもかかわらず「系図のところに「大友皇子(弘文)」とあって、天皇の即位の順番でも天智天皇の次となっていて、その次が天武天皇となっているのはなぜか?」といった主旨の質問でした。授業で、そこのところに触れなかったために、さっそく質問されてしまったのです。しかも、現在執筆中の問題集にとりあげた某難関私大の問題に、それが出ていたことを忘れていたのです。
そこで、質問に対する回答。大友皇子に対する諡号「弘文」は、明治3(1870)年に贈られたものです。672年の「壬申の乱」から千年以上後に大友皇子は漢風諡号を贈られたわけです。他にも、死後、即位はしなかった人物に諡号を贈った例はありますが、これは省略してもいいでしょう。
