Archive for 4 月, 2009
阿修羅像が大人気で「アシュラー」が登場
興福寺の阿修羅像が上野の国立博物館で公開中。江戸時代で言うと、「出開帳」です。例によって、長蛇の列とのことですが、熱狂的な若い女の子の阿修羅像フアンも出現し、「アシュラー」という言葉もマスコミに登場する有様です。いわゆる「イケメン」系、美少年ブームの一種なのか。あるいは、近年の「歴史ブーム」の一種なのか。まあ、それはそれとして・・・・・。
「興福寺阿修羅像」はもちろん受験生にとっては必須、絶対におぼえなければならない天平文化の作品。キーワードは「三面六臂(さんめんろっぴ)」。顔が三つあって、腕が六本。そして、「名前は怖いが、豊満優美な美しい少年のような表情」というフレーズと、その製作技法の「乾漆像」。来週には、授業で飛鳥・白鳳文化。次に天平文化を説明しなければならない。今年もまた、「三面六臂・・・・・」というわけですが、そこで「そう言えば、アシュラー・・・」などと脱線しそうです。そこで、あらかじめ、ここで脱線しておこうと思います。
(授業の脱線の実況中継)
「三面六臂の意味は写真を見ればわかるね。顔が三つで手が六本。四字熟語で八面六臂ってのがあるけど・・・・・」
「名前は怖いが・・・」という意味はわかるよね?
「阿修羅のごとく・・・」っていう表現はわかる?
「阿修羅・原っていうプロレスラーがいたんだけど・・・・知らないよね・・・」
「別の表現にすると、鬼神(きじん)のごとき・・・・なんて言うでしょう」。
ようするに、人間業ではないような戦い方、鬼のようなフアイターということ。
この阿修羅は誰と戦ったかというと、帝釈天(たいしゃくてん)と戦ったのです。もちろん、仏教の世界の話だよ。阿修羅と帝釈天は宿命のライバル。しかも、勝負は一方的。阿修羅は、戦っては負け、また挑んでは蹴散らされる。阿修羅は帝釈天に勝てない。
「帝釈天」は、寅さんが産湯をつかった「帝釈天(帝釈天)」です。「帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎」の「帝釈天」。寅さんの場合、柴又の帝釈天、題経寺のことですが、この帝釈天と阿修羅は死闘を繰り返した。
まさに、泥沼の戦い。そこから「修羅場」という表現が出て来るわけです。
(このままでは、授業が修羅場になってしまうので、以下、略)
だんだん、日本史じゃない、別の科目の授業になってしまう。そこで、日本史に戻して、関連事項を説明しておきます。
「出開帳」とは寺院が秘仏を都市等に持出して公開したもので、信州信濃の善光寺が秘仏を江戸などに持ってきて公開した例がその典型です。近世の庶民信仰を学習する時にぜひおぼえなければならない用語です。
もちろん、飛鳥から順に仏像を整理しておきましょう。「三面六臂」は興福寺阿修羅像ですが、「三目八臂」は東大寺法華堂の「不空羂索観音」ですよ。
豚インフルエンザがヒトに感染し死者多数
豚インフルエンザが人に感染、メキシコで死者多数
豚インフルエンザが人に感染!鳥だけかと思ったら「豚」まで。このままでは馬インフルエンザ・猫インフルエンザ・犬インフルエンザ・・・・・となって、それが人に感染し始めたら、それこそ、大変だ。
授業だと、だいたいこのあたりから脱線が始まります。
先週の授業では、旧石器時代のゾウなどの大形動物、縄文時代の「シカやイノシシ」。そして弥生時代には「豚」が飼育されていると話したばかり。そして今週は、古墳文化で「馬」が登場。
そんな時期に、また「豚」がインフルエンザで登場。豚とイノシシ(亥)の復習からということになり、「そう言えば、豚インフルエンザ・・・」といった調子で脱線してしまいそうです。
亥を飼育していると家畜化して豚になる(らしい)。縄文や弥生の遺跡から、彼らの骨が出て来ると、専門家は豚か亥かを、どうやって区別するんでしょう。理系はいたって苦手なので、よくわからない。たしか、歯の形が明らかに違うとか、顎が違うとか、習ったような遠い記憶はあるんですが。
そこで、弥生時代になると、亥を飼育する人が現れて、やがて「豚」が誕生したのか? それとも、水稲耕作とともに「豚」もやって来たのか。要するに、「豚」は弥生時代に日本列島にやっていたのか、それとも、日本列島内で亥の一部が飼育されて「豚」となったのか。どうも、後者の見解が有力という感じですが・・・・・。その内、調べておかなければならない。
ついでに、犬。縄文時代の遺跡のなかに、犬をちゃんと葬った墓があることは有名です。縄文時代に犬の墓があった。これは、写真で見た記憶があります。きっと、狩猟のための犬。猟犬だったんでしょう。それも、とりわけ賢い猟犬で、飼い主に愛された犬だったんでしょうね。当たってるかどうかは別に、こういう想像は楽しいですね。亥をペットにして、紐をつけて散歩してた弥生時代の人がいて、それが流行して愛好家が増え、遂に、「豚」が誕生という証拠があれば楽しいのですが。
裁判員制度に盟神探湯をとりいれよう
裁判員制度が始まるそうです。毒入カレー事件の有罪判決も重なって、明確な物証が無い場合、素人の裁判員だったらどういうことになるのか? といった具体的な不安も生じて、話題になっているようです。
「まさか、あなたは裁判員に当たりました・・・・」などということはなかろうと思いつつ、「宝くじ100万円よりは当たるかもしれない」というのが多くの人の感覚でしょう。
折しも、弥生・古墳文化あたりの授業なので、「魏志倭人伝」で「太占(ふとまにの)」、あるいは、「盟神探湯(くかたち)」などの語句が出てきます。「盟神探湯」というのは、熱湯に手を入れて、その火傷、手のただれ具合によって真偽を判断するものと説明されています。AとBが裁判で争った。AがBに「おまえがカレーに毒を入れた犯人だ」。Bは「Aは自分でやっておいて、おれをはめようとしてる」、などと争って、決着がつかない。そんな場合に、裁判員が「それでは神様に聞いてみよう」ということになって「盟神探湯」が行なわれたということでしょう。具体的にはわかっていないので、この設定は想像の域を出ませんが。さて、大きな釜で熱湯をぐらぐら煮立てて、そこへ石ころを入れて、「さあ、A君、手で石を取り出して見なさい」。「Bも取り出して見なさい」とやって、AとBの手というか腕を調べて、火傷の程度を比べるということらしい。
もし、Aはちょっと赤くなっただけ。Bは皮膚がズルズルのひどい火傷。ならば、Bが嘘つきといったところでしょうか。
授業ではこんな説明をするわけです。
さて、裁判員に当たったらどうするか。Aが殺人罪に問われているが、証拠の有効性がはっきりしない。Aは完全に否定している。検察は、自信満々でAを殺人犯だと主張する。ここで、どうするか?
こんな時に、古い時代だと「盟神探湯」が登場したのでしょう。もちろん、「盟神探湯」だけではありません。鎌倉時代だと、AとBを神社で一定期間生活させ、その間に、「鼻血が出る」とか「衣服をネズミに食いちぎられる」といったことが起ったほうが負けといった方法をとっています。火傷ではなく、「鼻血」が判定の基準になっているという違いです。
現代人から考えれば、まったく不合理。バカげた話だということになるんでしょうが、古代・中世の人は、自分たちで判断できない時には、「神様」に聞いたのです。火傷の程度や鼻血を、神の判断、意志表示だと考えたのでしょう。
そこで、盟神探湯などによる紛争解決のことを、「神判」などと総称します。「神」の「判定」という意味です。
盟神探湯は、現在でも「湯立て神事」といった形で残っています。
さて、裁判員制度。法の素人の裁判員が、判断に迷う事案にであった場合どうすればいいか?
もちろん、盟神探湯というわけにはいかない。では、「神判」ではなく、これが、「合理的な基準だ」という基準はあるのでしょうか。そもそも、AとBの主張が対立しているからこそ裁判になっているわけですから。
しばらくは、裁判員に当たらないように、「神」に祈るしかありません。
裸の王様を逮捕していいのか?
只今、「ニュース速報」が流れました。
SMAPの、とりわけ草彅剛フアンにとっては衝撃のニュース?
テレビ局の中には、ヘリを飛ばして、草彅容疑者が全裸で逮捕された都心の公園の映像を流しているところもあります。モーニングショーの出演者は予定どおりの表情で、なんとか時間をつないでいます。
これといった感想はありませんが、さっそく気になる日本史用語が頭をよぎりました。
「SMAP」じゃなくて「SCAP」。連合国軍最高指令官の略称です。要するに、マッカーサー、リッジウエー。「GHQ」は連合国軍最高司令官総司令部。こちらは、よく知られた略称ですが、「SCAP」も教科書にはのっています。
ところで、「彅」はむつかしい字ですね。「草薙」なら一般的ですが。こちらは、皇室に伝わる「三種神器」の1つ、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」の「草薙」ですから、日本史関係者なら書ける範囲でしょう。
さて、草彅逮捕についてですが。はっきりいって、「アリャリャ」といった程度の話です。しかし、この際、草彅フアンのつもりになって、コメントを書いてみましょう。単なる、悪のりですが・・・・・・。
(コメント)
井出ラッキョなんか芸そのものが「公然猥褻罪」。なんで、逮捕されないんだ。草彅君かわいそー。
警察官は悪いやつをつかまえる?そんなことはない。
「正義の味方はあてにならない」(1991年12月6日)
「負けるなBaby! 〜Never give up」(1992年7月8日)
謝罪会見なんてしなくたっていいよ。
「がんばりましょう」(1994年9月9日)
「たぶんオーライ」(1994年12月21日)
「俺たちに明日はある」(1995年11月11日)
スマップには帯番組がある。また、稲垣君の時みたいに、緊急生出演で「復帰!」ってストーリーはもうできてるから。やっぱり、お約束で「反省」だろうけど。最近のシングルCDで、
「はだかの王様 〜シブトク つよく〜」(1996年5月5日)
はじめから、予定されてたんだから。今回のことは。だから、
「この瞬間、きっと夢じゃない」(2008年8月13日)
泥酔状態で、夢の中。起訴猶予というところまで予想してたんだからね。
(お詫び)上記「***」は、1曲も聴いたことがありません。その歌詞、内容はまったく知りませんので、悪しからず。
炭素14年代測定法 年輪年代法 無人列車暴走
いよいよ授業が始まりました。あまりていねいに説明しようとすると、予定の範囲がたっぷり残って、あとが怖い。夏休み前に江戸時代中期まで進まないと秋以降が苦しくなる。そこで、雑談も控えめにしなければ、と思いつつ余計な話をしてしまうのが常です。
日曜日、無人電車の暴走というニュースがありました。すると、当然(?)、「三鷹事件」の話がしたくなる。1949年、下山事件・三鷹事件・松川事件という怪事件、謎の事件が連続しました。下山事件は初代国鉄総裁の下山氏が礫死体で発見され、三鷹事件は無人電車が暴走し、松川事件はレールが外されていて列車が転覆。真犯人は未だに不明。戦後史で必ず強調する事件ですが、この話はぐっとこらえて授業では触れないようにしました。
もっとも、第1講目の範囲でも、触れることのできなかったところはかなり出てきます。「こんな簡単な説明ではわからないだろうなー」と思いつつ、次に進んでしまった部分もあります。
たとえば、「年代測定法」についてです。ここを丁寧に説明するとタイヘンなことになる。しかも、自分でも理解できないところがいっぱいある。
ある土器を見て、これは「1万6500年前」とか、この柱は「B52年に伐採されたもの」などとわかるのはなぜか?
どうやって、それを推定したのか? 教科書には「炭素14年代」測定法と「年輪年代法」が脚注で説明されています。
宇宙線によって生成される放射性炭素(C14)を取り入れた、摂取した生物が死んで、その後、一定の規則で、蓄積されたC14が減っていくこと(半減期)を利用して、その残量から、死後、何年位が経過しているかを推定するのが「炭素14年代」。年輪年代法は、文字通り、木材の年輪から、その樹木が伐採された年代を推定しようとするものです。温暖の差によって差が出る年輪のパターンを集めて、あたかもバーコードを読むように、その樹木が生長し、伐採された期間を割り出そうとするものです。こちらは、誤差なく、「**年に伐採された」と1年単位でわかるわけです。
環濠集落の例として出てきた大阪府の「池上・曽根遺跡」はおぼえているでしょう。その「池上・曽根遺跡」の大型建物の柱を年輪年代法で測定したら、伐採されたのは「BC52年」となったというのです。国立歴史民俗博物館がこれを発表したのはだいぶ前ですが、かなり話題となりました。池上・曽根遺跡は弥生後期の遺跡とされていますから、弥生後期は、それまでのように2〜3世紀ではなく、1世紀ごろからということになるわけです。そうすると、弥生時代の始まりもそれにつれて1世紀は古くなる。紀元前3世紀ではなく、紀元前4世紀ごろからということになるわけです。
いやいや、弥生時代は前期の前に「早期」を設定するべきだ、「いや弥生時代の始まりは紀元前8世紀だ」「水稲耕作が九州北部で始まったのは紀元前10世紀」だという見解も出てきた。100年どころではない、弥生時代が500年前後、長くなるというわけです。こちらは、「土器に付着した炭化物のAMS法による炭素14年代測定結果を補正した結果」だと教科書には書いてあります。
ここまで来ると、もう完全に理系の世界。宇宙線が生成するC14が生成される量にも変化があるとか、どのような方法がより測定に向いているかといった議論は、はっきり言ってよくわかりません。わかるのは、年代測定法についても議論があるということ。皆が納得する測地法はどうやら確立していないということです。学問とは、そもそもそういうものなのですが、その断片が「教科書」に紹介されると、はっきりいって困るのです。
なぜなら、年代測定法については触れない授業の方が一般的かも知れませんが、入試でも出ないからだいじょうぶかというと、「炭素14年代測定法」「14C年代測定法」が出題されることもあることはあるのです。
入試に絶対必要というわけではありませんが、教科書でそのあたりを確認しておいて下さい。
吉野ヶ里遺跡 大塚遺跡
日本史学習法の第5回です。いよいよ授業も始まる。さっそく「暗記」に悩まされる時期です。今日の授業の範囲で、「どこまでおぼえればいいんだ?」。たとえば、最初に出て来る、遺跡の具体例をどこまでおぼえればいいのか。逆に言えば、捨ててしまっていいのはどこか? ともかく、暗記の範囲を確定したい。
そこで、第5回は「暗記の範囲」についてです。これは教える側も、教えられる側も最大の悩みです。
とことんやったらきりがない。基本だけではやや不安・・・・・・・・。
そもそも、「基本」とは何かがはっきりしないし、考古学分野で難問が続出する大学を目指すのか、ほとんど考古学分野は出題されない大学を念頭においているのか。かなりの差がでます。
たとえば、弥生文化の遺跡をどこまで暗記しなければならないのか。正直に言ってしまうと、一般的に、客観的に暗記の範囲を決めることはできないのです。もっと、絞ってみましょう。「環濠集落」はどこまでおぼえればいいのか。
基本の基本なら「現在知られている最大」の佐賀県吉野ヶ里遺跡。これは誰しも異存はないところです。
それでは「神奈川県大塚遺跡」はどうするか? 以前の山川の教科書(『詳説 日本史B』)には、この大塚遺跡の航空写真が載っていました。神奈川県にキャンパスがある慶応大学は、この大塚遺跡を聞いてきました。現在の山川の教科書はどうなっているかというと、吉野ケ里遺跡の写真しかのっていない。大塚遺跡の写真は消えている。それでは、教科書の地図「弥生時代のおもな遺跡」ではどうなっているかというと、神奈川県のところにポイント(点)が打ってあって、「大塚」とあるだけです。
「教科書をやっておけばだいじょうぶ」ということなら、「教科書の遺跡地図にあるんだからおぼえるべきだ」ということになるんでしょうか。ならば、大塚遺跡は暗記の範囲内。「いや、教科書の本文だけでいいんだ」ということなら、暗記の範囲から排除。ところが、教科書の本文に限定して、これを暗記の範囲とするなら、なんと、「吉野ケ里遺跡」はありません。もちろん、コラムにはあります。「コラム」の情報は暗記の範囲ということになるうでしょうか。それでは、脚注は?
常識的に考えても吉野ヶ里を教えない等ということはありえない。
結局、そこで持出されるのは、「入試のデータ」から範囲を決定しようという主張です。しかし、過去のデータは過去の教科書、その時点での教科書を基準としているわけですから、来年の入試の基準にはならないのです。
そこで、もう一度。「環濠集落」の例は、どこまでおぼえればいいのか?
結論は、自分の目標に合わせて、自分で決定する。しかし、時間的にそんなことを吟味している暇はない。
そこで、教師が一応の範囲を示すこととなるわけです。ある意味で、そこが受験日本史で教える側が吟味しなければならないところなのです。
しかし、「暗記の範囲だ」といった基準などないわけですから、自分の目標大学を前提として、教師が示した「範囲」を自分なりに、簡略化したり、追加してもらうこととなります。
そして、一番大事なことは、暗記の範囲を決定したら、それを定期的にチェックして、入試までにおぼえてしまうこと。範囲を超える問題に出会っても驚かない。範囲外については「捨てる」ことです。
本年度の授業が始まります。今日は、東大受験が対象の本郷校での授業。環濠集落は「吉野ヶ里遺跡」だけです。来週から開講となる、横浜・新宿・麹町校の早慶大対象のクラスでは、範囲を決定しなければなりません。実は、まだ、決定していませんが、、一応、次のあたりが予定の範囲です。
環濠集落の暗記⇒(佐賀)吉野ヶ里 (福岡)板付 (奈良)唐古・鍵 (大阪)池上・曽根 (神奈川)大塚
一番悩むのは、大塚遺跡ですが、しょうがないので、大塚遺跡は「微妙だ」という話をすることになるでしょう。
そこで、第5回の学習法の結論。
ともかく、「暗記の範囲」を確定すること。そして、決めたらあとは迷わない。一番、避けなければならないのは、どこまで暗記するかを決めないことです。あるいは、よく出るところは赤でマーカー、難関大で出るかもしれないのは黄色といった区別をすることです。入試の現場で、色ごとに記憶が蘇るというわけではないでしょう。それなら、思い切って、基本の基本に絞ってしまって、あとはホワイト(修正ペン)で消してしまった方が効率的です。
1週間単位で、暗記の範囲を決定すること。これを後回しにすると、ほんとうに時間切れになってしまいます。
しっかり、第1週から、この作業に取り組んで下さい。
日本史 基本史料対策
日本史学習法の第4回です。教科書レベルの基本史料対策がテーマです。
まず、大前提は、
①声を出して読むこと
ここが大事です。日本史で扱う史料は、古文とはかなり違います。漢文は読み下しがほとんどで、むつかしい表現も多い。古文が得意な人でも、かなり違和感があると思います。史料が苦手になる一番の原因は、史料を音読しないで、目で追うだけにとどまってしまうことです。出だしでつまずかないように、しっかり古代から学習を積み重ねていきましょう。
例をあげておきましょう。
有名な「金印」に関わる『後漢書』東夷伝。
「けんむちゅうげんにねん、わのなこく、こうをほうじてちょうがす(ほうこうちょうがす)。しじん、みずからたいふとしょうす。わこくのきわみ、なんかいなり。こうぶ、たまうにいんじゅをもってす」と声を出して読みましょう。
「建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜うに印綬を以てす」という部分です。
②次に、その史料の意訳(ここでは省略します)を確かめながら、ポイントとなる語句にマーカー、キーとなるフレーズにはアンダーラインといったチェックを入れておく。
③出典(上の例なら『後漢書』東夷伝)、著者・編者(范曄など)を確かめる。
④問題集等で、実際に基本史料がどのような形で出ているかを確かめておくこと。
サンプルとして、今年(2009年)の早稲田大学・社会学部の1番の問1、一番始めの設問を見てみましょう。
(問題)
問1 次の史料の(A)に入る用語を漢字で記せ。
建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜うに( A )を以てす
この後も、『魏志倭人伝』以下、『平家物語』まで、史料が計10点、すべて空欄を補う形で並んでいます。全問できなければならないという訳ではありませんが、このレベルだと、「やや易」の問題です。
(解答)印綬
⑤この社学の空欄は、あまり一般的ではありませんが、この「印綬」にあたると考えられているのが、江戸時代に発見された、いわゆる「金印」(印文「漢委奴国王」)です。「漢倭奴国王」だと×。印文は「倭」ではなくて「委」と必ず注意されるところです。そこで、「印」までは思い出しても、「綬」が書けない可能性が高い。
一般には、「奴国」「大夫」そして、「光武」あたりが空欄となります。
すなわち、基本史料対策の決め手は、空欄補充だと思って、繰り返し、定期的に復習、読んでみることです。
今年の早稲田の社学の問題では、古代史の範囲は、この1番の設問10個だけです。1ヶ月以上かかる古代史の学習から、実際に問われたのは、史料の空欄10カ所だけ。「それが、入試というもの」と言ってしまえばそれまでですが、少なくとも、基本史料を使った問題で壊滅といった状況だけは避けなければなりません。
基本史料とその音読などは、ホームページ・日本史史料Podccastで公開しています。
中尊寺金色堂 ミイラ
世田谷美術館の特別展「平泉」に行ってきました。金色堂の仏像の一部が展示の中心でしたが、前九年合戦・後三年合戦関連の展示物もありました。ただ、当たり前といえば当たり前ですが、奥州藤原氏4代のミイラは非公開でした。親子4代のミイラは詳しい学術調査が行われています。授業でも触れることがありますが、そのミイラを題材にした入試問題をたまたま午前中見ていました。早稲田大学商学部の最近の問題ですが、その部分は次のようなものです。
(問題)現在、中尊寺金色堂に安置されている歴代藤原氏のミイラのなかには、人為的に首だけにされたものがある。これは、誰のミイラと考えられているか。
1.藤原秀衡 2.藤原真衡 3.藤原基衡 4.藤原泰衡 5.藤原清衡
前回の「キモヒヤス」を使ってみましょう。2は始めから排除。1.3.4.5が4代です。さて、その中で「人為的に首だけにされたのは」。さすがに、そこまで授業で話すことはありません。しかし、4人のうちから、「首だけ」にされた可能性があるのは、4の藤原泰衡に違いないと推定できるでしょう。1189年に滅亡した4代目泰衡が、「人為的に」、すなわち、首をはねられる可能性があった人物だと考えるのが自然でしょう。一般的に言えば、これは難問です。しかし、源義経の首をはねて頼朝のもとに送った泰衡が、許されず、頼朝軍に敗れて、平泉文化もろともに滅亡してしまった。そこから考えて、解答は4に違いないと推定してほしいところです。
やや、気持ちの悪い、不吉な話題になってしまったので、もう少し、穏やかな予想問題を1問。
(問題)次の文章の空欄(a)(b)に該当する人名を、漢字で答えなさい。
江戸時代、中尊寺を訪ねたおりに、「五月雨の 降り残してや 光堂」の句を残したのは俳人(a)であるが、この「光堂」を含む中尊寺を建立したのは藤原(b)である。
(解答)(a)松尾芭蕉 (b)藤原清衡
※昨日、誤ってタイトルを「中尊寺金色堂 首のないミイラ」として公開してしまいました。訂正します。首がないのではなくて、藤原泰衡は首だけのミイラです。
弘仁 貞観 延喜
日本史学習法の第3回。前回はAとBの区別、対比でしたが、今回はA⇒B⇒Cの順序をしっかりつけておこうというテーマです。なかにはA⇒B⇒C⇒Dという場合もあります。
例として、格式の編纂をあげてみます。
A弘仁格式⇒B貞観格式⇒C延喜格式 これを、天皇で言えば、
A嵯峨天皇⇒B清和天皇⇒醍醐天皇 ということになります。
これは、ことさら意識しなくてもおぼえられるかもしれません。
もう1例。ABCDという4つの順序の例。奥州藤原氏の4人の順序。
A(藤原)清衡⇒ B 基衡 ⇒ C秀衡 ⇒ D 泰衡 (Aきよひら・Bもとひら・Cひでひら・Dやすひら)
「ひら」「ひら」「ひら」「ひら」と繰り返す人名です。この内、A・B・Cが奥州藤原氏3代と呼ばれます。Dの泰衡は1189年、源頼朝によって滅ぼされてしまいます(奥州合戦)。
難関大ではこの3代の仏教事業も出題されますから、藤原清衡の中尊寺金色堂だけでなく、基衡・秀衡についてもおぼえておきましょう。基衡の毛越寺は庭園の遺構。秀衡は宇治の平等院を模して建立したという無量光院ですが、もその跡が確認されているだけです。そこで、
A(藤原)清衡 ⇒ B 基衡 ⇒ 秀衡 ⇒ D 泰衡
A 中尊寺金色堂 ⇒ B 毛越寺庭園⇒ C無量光院⇒(D滅亡「奥州合戦」)
ともかく、この順序だけは忘れないように、語呂合わせでも何でもいいから、一発で順番に出てくるようにします。
そこで、「きよひら」「もとひら」「ひでひら」「やすひら」と何回か、声をだして繰り返します。
その上で、「キモヒヤス(肝冷やす)」と、これも声に出して言ってみる。「肝を冷やす」というのは、ようするにビックリした、震え上がったといった意味ですから、頼朝の率いる大軍に「肝を冷やした」藤原泰衡は、かくまっていた源義経を殺し、その首を頼朝のもとへ送ったという逸話を利用して、泰平は「きもひやす」。そして、
A「き」よひら ⇒ B「も」とひら ⇒ C「ひ」でひら ⇒ D「やす」ひら
と、その最初の音を確認しましょう。
「平泉文化は中尊寺金色堂だけでOK」とか、「難問は無視しよう」という扱い方は、誤りというわけではありませんが、あまり意味はありません。「藤原清衡=中尊寺金色堂」までは、普通におぼえてしまう範囲です。授業で必ず学習して、それだけでOKです。藤原泰衡が滅亡した「奥州合戦」も同様です。それ以上、どこまでおぼえるかは、はっきり言って、教える教師によって様々です。大学によってもバラバラです。入試全体を、適当にデータ化しても、それは一般的な傾向のさらに一面を示すに過ぎません。だからといって、「早慶レベル」、「***レベル」などとランクをつけて,決められるものでもありません。最初から、中途半端な学習法に陥らないことです。気になるところはしっかりまとめておぼえてしまうこと。そこで、奥州藤原氏を学習し、基衡・秀衡が出てきたら、ともかく順番をしっかりつけておぼえてしまうほうが自然です。逆に言うと、基衡と泰衡しか習っていなかったら、前回のパターン、A・Bの区別でおぼえてしまうことです。
さて、ABC を古いものから並べると、①A⇒B⇒C ② A⇒C⇒B ③ B⇒A⇒C ④ B⇒C⇒A ⑤ C⇒A⇒B ⑥ C⇒B⇒A
の6通りになります。そこで、正解以外の5通りの間違った順番を使って書かれた文章は、正誤問題では誤文と判定できなければならないのです。もちろん、空欄補充で4人のなかから1人を選ばなければならない場合もあります。
A⇒B⇒Cの順序が混乱しそうなテーマが出てきた時には、その度毎に、メモしながらおぼえていきましょう。
次回は史料対策です。
ナウマン象 マンモス
日本史学習法の第2回です。
AとBの区別をしっかりつける。復習するときに、AとBの区別がつくようにテキスト等に書き込んでおこうというものです。
例として、ナウマンゾウ(象)とマンモスの区別をあげておきます。
この二つは、旧石器文化(更新世)のところに出て来る、大型動物です。共通のテーマで出てくるのでAとBの区別が大事なのです。日本列島がまだ大陸とつながっていた時期ですから、今の日本列島には北から南から大型動物がやってきた。北から「マンモスやヘラジカ」、南から「ナウマンゾウ(象)やオオツノ(大角)鹿」がやってきたと教科書にあります。そこで、
A 北→マンモス・ヘラジカ
B 南→ナウマンゾウ・オオツノジカ
と、2行にして、対比しながら暗記に備えておく。
その際、AかBか、どちらでもいいので、片方を優先して完全に暗記してしまうことです。ここではBのほうを優先してやってみましょう。
南の方、「南方」は「なんぽう」とよびます。ナウマンゾウの最初も「な」。「な」という、同じ音から始まる。そこで、「南方からナウマン象」と繰り返しておぼえてしまう。もちろん、早慶などの難関大では、ヘラジカとオオツノジカの北・南の違いから正誤問題を出してくることもあります。そこで、「南方からナウマン」だけでなく、何とかナウマ象とオオツノジカを結びつけておきたい。
そこで、マラソンの高橋尚子選手でもいいし、知り合いのなかの「なお**」「なお*」でもいいですから、「なお」チャン!。「な(ナウマンゾウ)」「お(オオツノジカ)」チャンと、何度か唱えて確実なものとしていく。
もちろん、そんなテクニックなど不必要という人も多いでしょう。これは、ほんの一例ですが、ともかく、最初の考古学分野の学習から、AとBの区別をしっかりとつけておけばいいのです。
念のため、もう一例あげておきます。大阪府の巨大前方後円墳の区別です。
大阪府堺市 →百舌鳥古墳群墳・大山古墳 ・伝仁徳天皇陵
大阪府羽曳野市→古市古墳群 ・誉田御廟山古墳・伝応神天皇陵
