Archive for 12 月, 2009
メリークリスマス&南無阿弥陀仏
クリスマスですね 銀座の鳩居堂で買った、縮緬(ちりめん)で作ったサンタさんです。縮緬といえば西陣で発達し、これが各地に伝わって丹後縮緬などの近世の特産品が生まれていった。
ところで、キリストの生誕が、これほど盛んに日本で祝われているのはどうしてでしょうか。ともかく、贈答、贈り物が好きだからか? 「メリークリスマス」と連呼しながら、『聖書』は読んだこともない。家に聖書なんておいてない。それでも「メリークリスマス」と臆面もなく言えるところは、まさに「日本的」ですね。
キリストの生誕を祝うということ自体について、あれこれ言うことはもちろんありません。しかし、形の上では多くの日本人が仏教徒だという実態とのズレには、どうしても、毎年、ひっかかかります。葬式は仏式でやる。お爺さんの墓参りにお寺に行く。「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」。でも、結婚式はハワイの教会で「アーメン」。元旦は、神社に初詣で。まさに、「にっぽん」ですね。
そこで、キリストの生誕は祝うが、潅仏会は知らないという人も多い。少なくとも、国民的なお祝いといった情況は生まれない。
4月8日がお釈迦様の誕生日ということになっています。お寺では、潅仏会が催されるのですが、ニュースでちらっと流されることがある程度。やはり、プレゼントがともなわないから人気が出ないんでしょうか。せめて、バレンタインのチョコレート(これも意味不明ですが)のように、好きな人に饅頭を贈る日にするとか。何らかの対策があってもいいんじゃないでしょうか。
江戸以来の職人言葉で「おしゃかになった」というのがあります。あまり使われなくなったのですが、「失敗に終わった」という意味です。4月8日を「しがつよかった」「ひがつよかった」ということで「お釈迦様になった」「おしゃかになった」と言ったわけです。
ともあれ、キリスト教の信徒は別にして、一般の受験生は「メリークリスマス」はそこそこに、「熊本バンド」「札幌バンド」「横浜バンド」をチェックしておきましょうね。
大坂から大阪へ おざか・おおざか・おおさか
維新とともに、「大坂(おおざか)」から「大阪(おおさか)」へ。
豊臣家が滅亡したのは「大坂」夏の陣。三都とは江戸・「大坂」・京都。明治8年の大久保・木戸・板垣の会談は「大阪」会議。大井憲太郎らが捕まったのは「大阪事件」「坂」から「阪」へ。授業では、念のため何度も注意するところなので、受験生は間違えないでしょう。戦国期には「小坂」「尾坂」という表記も見えるので、この時期の研究者などは「おおざか」ではなく「おざか」と呼ぶようです。「おざか」と言うと、いかにも専門家らしい。もちろん、秀吉の大坂城は石山本願寺の跡に築かれたものです。
ところで、なぜ「坂」をわざわざ「阪」に代えたのかと問われると困ってしまいます。「大阪府」と表記したことは間違いないのですが、理由は明確ではありません。地名の研究でもはっきりと決着はついていないようです。よく言われるのは「坂」という字は「土」に「反る(帰る)」と読めるから縁起が悪いというので「土」をやめて「阝(こざとへん)」に替えたという説です。土に帰るとは、死者を土葬する、土中に埋葬するというので不吉だというわけです。
話は飛びますが、直訳ロックで有名な、王様の替え歌に『万の土になった〜お墓参りに行こう〜』というのがあります。講習会で、「大坂会議は×、「阪」だよ」と、ワンパターンの注意をしながら、「土葬」から、この王様の『万の土になった』が浮かんできて、おもわずニヤリ。危うく授業が脱線しかかったのです。
YouTubeで簡単に見ることが出来ます。ぜひ、聴いてみてください。感動的な歌詞です。たぶん紅白では聴けないでしょうから。
宮古島の人頭税
江戸時代、宮古島は沖縄本島の琉球政府から苛酷な税を課されていました。そこから、「この石の高さに背が届いたら人頭税の対象とされた」という伝承が生まれたらしいのですが、これに着目した民俗学者柳田国男がこれを紹介したので有名になりました。そのあたりの事情は、案内板に書かれています。行ってみたら、ご覧のとおり、それほど高くない石柱でした。いまなら、小学生でも税の対象になってしまうでしょう。入試にはこの石の話しは出てきませんが、明治政府の「旧慣温存」という統治に関連して「人頭税」が明治になっても存続したことは知っておかなければならないところです。また、宮古島の島民の台湾漂着事件(牡丹社事件)と、これに対する報復としての台湾出兵は、近代史の最初の海外派兵として入試では頻出です。受験が終わったら、ぜひ、沖縄本島だけでなく、宮古島などにも行ってみてください。
清水寺のライトアップ
会議で京都に行ってきました。清水寺のライトアップの最終日というので、ちょっと行ってみましたが人・人・人。しかし、舞台の下にある「阿弖流為(アテルイ)」の記念碑のところは誰も注目せず素通りでした。昼間なら立ち止まる人もいるのでしょうが。征夷大将軍坂上田村麻呂に屈服した蝦夷の族長アテルイは都に送還され、河内国で処刑されたといされます。
(前回の訂正)南大門の説明ところで、両側には「不動明王像」としてしまいました。「金剛力士像」としなければならないところです。もちろん、曼荼羅・不動明王像は弘仁・貞観文化、密教美術です。
金剛力士像は南大門の左右に配置された「阿形(あぎょう)」と「吽形(吽形)」の二体。運慶・快慶ら慶派の作とされるものです。ちなみに、「阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)」という言葉は、この「阿形」「吽形」からきています。




