Archive for 7 月 12th, 2010
相撲と興行 選挙とワールドカップ
現在の大相撲につながる、江戸時代の相撲について、教科書(山川・詳説日本史)の記述を紹介しておきましょう。江戸時代のコラムに、「娯楽の代表は歌舞伎と相撲であった」「相撲は近世前半には大名や旗本など武家だけが楽しむ娯楽であった」とあります。相撲、歌舞伎は現在につながる「娯楽」ですが、念のため、古代の宮中の儀式としての「相撲」が江戸時代に復活したものではないことは注意しておきましょう。歌舞伎は、そもそも近世に成立した芸能です。「大名」などの武家が楽しむというところはあまり知られていないでしょう。大名たちは、武士である家臣を抱えていたわけですが、茶人、学者、種々の芸能人をも競って抱えていきました。要するに、すぐれた芸能人や芸術家、武術の達人などを雇っていった。これは、室町時代にも盛んにおこなわれたことですが、大名たちは力自慢、格闘家を雇っていった。彼等を闘わせて楽しむだけでなく、強い相撲取りを抱えていることを自慢したかったのです。もちろん、今も昔も民衆の格闘技に対する興味は強いものです。民衆は「総合格闘技チャンピオンは誰だ?」といった関心からも、相撲の興行を待ち望んだ。幕府は治安上、風俗上からなるべくこれを抑え込もうとします。しかし、幕府としても、民衆に一定の娯楽を与えざるをえないということとなり、相撲の興行を認めるようになりました。
教科書に、「幕府は1744(延享元)年四季勧進相撲を公認した」とあります。格闘技としての相撲を生業とする「渡世集団」の興行を認めることとなったわけです。人気力士もあらわれ、「1791年(寛政3)年には、初の将軍上覧相撲が江戸城吹上庭で挙行され」るにいたった。
そして、この「将軍上覧」、すなわち将軍の相撲観戦が「相撲に格式と権威を与え、相撲は娯楽の花形となった」というのです。
ちなみに、天保の改革では風俗統制が徹底され、もう一つの娯楽の王様、歌舞伎の役者は町を歩く時にも「編笠をかぶらされ」、さらに興行場所も、江戸の中心部から強制移転させられています。これも、教科書に、「三座(歌舞伎)を場末の浅草に移転」が載っています。難関大で時折出題されるので受験生は「三座」も暗記するぐらいです。
さて、その後、幕府は倒壊。明治天皇を神とする維新政府が登場するという大変革が起ります。そして、その混乱の中から、相撲の興行が復活するのです。「渡世集団」は、今度は天皇陛下から優勝カップを賜るようになって、将軍の上覧ではなく「天覧相撲」でその権威を確保することとなったわけです。
今日では、なんとなく、相撲は「国技」だという主張も現れるようになったわけです。相撲のどこが「国技」なのか? いろいろな評価はあるでしょうが、一応、歴史的な経過を踏まえた上で議論するべきでしょう。伝統的な、形式、様式を遵守する芸能であることは異議のないところでしょうが、その「伝統」の由来、形成過程とスポーツとしての要素をどう見るかはなかなか微妙でしょう。
只今、民主党幹部がテレビで色々とコメントしている最中です。
どうやら、政治も選挙も、じつは「興行」だったりして。そして、あと何時間かで、本当の、世界的な興行が始まります。スペインかオランダか。
