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大和魂と世襲議員と『源氏物語』についての余談
選挙が迫ってくるなかでの夏期講習会。そこで、どうしても脱線してしまうのが「大和魂」「世襲」、そして『源氏物語』です。紫式部には毒がある。末摘花と江戸時代の特産物という前回、前々回の続きです。 「大和魂」という言葉が最初に出てくるのは『源氏物語』だそうです。念のために、『源氏物語』のその部分の口語訳を確認してみました。前回が、不美人の末 摘花だったので、『ブス論』の著者大塚ひかり氏の口語訳(ちくま文庫)を引用させてもらいましょう。光源氏が、元服した息子の夕霧に六位の地位しか与え ず、大学に入れたという部分(少女(乙女)巻)です。天皇や周囲は四位ぐらいの位階が与えられるのだろう思っていたところ、父の光源氏は息子を六位とし、 大学に入れてしまったというところです。その理由を、光源氏は次のように説明します。 「高貴な家の子として官位も思うままで、栄華の中で贅沢に馴れてしまうと、学問などで身を苦しめることは自分とは縁遠い気持ちになるようです。(略) やはり学問を基礎にしてこそ、実務を処理する“大和魂”を世の中で発揮できる可能性も高いでしょう。当面は心もとないようですが、最終的には世の重鎮となるべき心構えを学んでおけば、私がいなくなっても安心できる」と判断したというのです。 高位高官の子は成人とともに高い位を与えられるのが常識だった当時にあって、あえて、六位を与えることとしたのは「学問」を身につけさせるためだというの です。そもそも、8世紀に成立した律令制で、法的に五位以上の貴族の子、三位以上なら孫までが、一定の位階を与えられた。入試でもよく問われる「蔭位」の 制です。また、大学とは式部省の管轄下に置かれた官吏養成機関で、このころは、主として中国の古典や歴史などを、もちろん漢文で学び、その後、試験を受け て官人となっていくのが原則でした。 時代の相違を無視して、イメージ化すると、父、祖父が首相、大臣クラスなら、その子や孫は成人すると学力や学歴に関係なく国家公務員上級職(キャリア)の 資格が自動的に与えられた。もちろん、大学を出て、公務員試験に合格して役人になるルートもあるがこれは二流の役人、政治家。首相の息子の夕霧君は黙って 中央省庁の局長あたりから役人の道を歩み始めるのが普通なのに、何と大学に入って、公務員試験を受けるという、中流以下の道を父に強制されたということに なります。世襲で国会議員となるのは簡単だが、その前提となるのは「学問」だから少し遠回りしろというわけです。その「学問」とは、現在なら、英語と欧米 流の知識。平安時代なら漢文や中国の歴史だということです。原文では「才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂(やまとだましひ)の、世に用ひらるる方 も、強う侍らめ。」という部分です。ここを大塚氏は「やはり学問を基礎にしてこそ、実務を処理する“大和魂”を世の中で発揮できる可能性も高い」と訳され ているのです。 「大和魂」は、決して「ニッポン魂」ではありません。『広辞苑』には「①漢才すなわち学問(漢学)上の知識に対して、実生活上の知恵・才能。②日本民族固 有の精神。勇猛で潔いのが特性とされる」とあります。江戸時代の国学者あたりから始まる、「すばらしい、日本固有の文化」といった意味はまったくなかっ た。実務処理能力、一種の処世術といった意味で、それを活かすためには漢文が必要だ。すなわち、「漢才」に対応して生まれてきた言葉だった。 父や祖父から地盤を譲られた世襲議員は若くして国会議員となり、叩き上げの年配の議員を尻目に、大臣や党の要職を歴任して首相を目指す。55年型の自民党 支配の政治構造が産まれたのと同じです。それを支えるのは、正に「学問」を身につけ、二流の地位を約束された官僚と官僚OBの国会議員だった。平安時代も 戦後も同じようなものです。 さて、次の内閣の首班が世襲議員であることはほぼ間違いなさそうですが、「漢才」と「大和魂」双方がそろっているのはどちらか。あるいは、両方ともないの か。処世術では麻生の勝ち? 学問では鳩山の勝ち? どっちにころんでも、日本の政治構造の大きな変革は起りそうにもないところは、まさに「あじきな い」。としかまとめようはありません。
